中山寺略縁起の項


伽藍古図伽藍古図
伽藍古図伽藍古図
【 伽藍古図 】
 

 


 北摂の地に、紫の雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるとつたえられる、わが国最初の観音霊場です。

 御本尊は十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として数多くの婦人より篤く信仰されてきました。御本尊のお姿はインドの勝鬘夫人(インド中古のアユジャ国の王妃で、仏法に帰依し、釈尊の教えをことごとく悟得された女性)が女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を彫刻されたことに故実する尊像と伝えられています。すべての人の正しい願いを聞き入れて、世の憂いや苦しみを取り除き、心の畏れるところのない境地を与えられるご本尊本来の願いを、その両御手にあらわされているのも、当山にみられる特別なお姿であり、平安初期の他に類のないすぐれた尊像のゆえんです。

 また代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。

 草創以来、長い歴史の中で当山は多くの物語でかざられ、世に名高い謡曲「満仲」や「菅原伝授手習鑑」は、平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものです。

 満仲より8代目の多田城主は源 行綱です。彼の妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、その鐘の緒はいまでも保存されています。以来中山寺の「鐘の緒」といわれて、女性の大役である出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、数百年たえることのない日夜の祈念をいたしております。

 ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。
 

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【 聖徳太子勝鬘経講讃坐像 】
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【 南無仏太子 】
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【 中山寺 本尊 】

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